2022年3月20日日曜日

 

ビッグベアーとスミスについて

ウォッチギャラリー・ビッグベアーが目指すこと

時計師であり店主の 大熊 康夫 が
ビッグベアーとスミスを語ります


~スミスとの出逢い~

スミスという時計と出逢ったのは、1989年に初めて渡英したときのこと。そのスミスには輝きや艶など一切なく、所々に黒いくすみがあり、銀無垢ケースの表面は、いわゆるいぶし銀と呼ばれる状態でした。


それでも、その古めかしい銀無垢クッション・ケースとSMITHSのロゴだけがプリントされた渋い文字盤にひかかれ、手に入れることに…。


大熊 康夫プロフィール:1960年東京都杉並区生まれ。日本デザイナー学院卒業後、イラストレーターに。英国のミニ生誕60周年記念イベントのメイビジュアルなどを描く。2003年よりイラストを描く傍ら、スミス専任の時計師を目指し、現在に至る。



自分を待っていたスミス

1989年のイギリスの町には、今では少なくなった1960年代の英国車が、沢山走り回っていました。そんな田舎町のアンティーク・ショップのショーウィンドウには。稀に、スミスの腕時計が並んでいたのです。

ニューモデルが発売になると買い替えを考えるような一般的な製品とは異なり、ヴィンテージ・ウォッチとの出逢いには、一生使って行きたいといった特別な感情が入り込むもの。


それだけに、長い年月、自分を待っていてくれたと思える個体と出逢った時には、その個体に愛おしさすら覚えると言っても過言ではないのです。




スミスと共に繰り返した英国の旅

1990年代には、日本でも毎日の足として使っていた1950年代のモーリス・マイナーを英国バーミンガムのマイナー専門店で借り、ひとりで英国中を走っていました。


旅の目的は、イラストの題材を探すこと。でも、実際は、旅先で故障しては、クルマに積み込んでいた工具やスペア・パーツのお陰で、地元の人の親切に甘えつつも、自力で直しながらの珍道中でした。


写真のクルマは相棒として活躍してくれたモーリス・マイナー・トラベラー。マイナーのメーターは、腕に着けていた銀時計と同じスミス社製。当時は、ただそれだけで、嬉しかったのを覚えています。


~スミスのヒストリー~

スミスは、元々1851年創業の時計店でした。1870年代より、スイスのロンジン社にその生産を依頼して、極めて高性能な懐中時計の販売を開始。1910年代には、英国車のメーターの殆どを製造する自動車部品メーカーとして名を馳せるようになりました。戦後には、自社工場生産の純英国製の時計メーカーとして成長を遂げ、1980年まで生産を続けました。



戦前に黄金期を迎えたスミス社

スミスの時計というと、デラックスやアストラルなどの腕時計が頭に浮かぶことでしょう。


しかし、スミス社の長い歴史の中で、第一次黄金期と言われているのは、世に腕時計が現れる前の1890年代でした。


当時、精巧なクロノグラフやミニッツ・リピーター、さらには、今ではトゥールビヨンと呼ばれているリボルビング・エスケイプメントを搭載した複雑時計まで生産していたことは驚きに値します。


1910年代には、自動車のメーターなどのモーター・アクセサリー部門を設立し、英国車のほとんどのメーターの生産を担うことに。写真の戦前型オースティン・セブンは、英国で手に入れた2シーター・スペシャルで、ダッシュボードには、スミスのメーターが美しく並んでいます。






戦後のスミス

第二次世界大戦後、スミス社は大きな転機を迎えることになりました。戦前、時計の生産を、ほぼスイスのロンジン社へ依頼していたスミス社は、メーターの設計などで、深い関係を築いていたスイスのジャガー・ルクルト社の技術者を呼び寄せて、100%自社工場生産の時計メーカーとしての成長を遂げました。


腕時計を例にすると、1215、デラックス、アストラル、インペリアル、さらに、エベレストなどの高級モデル。そして、エンパイアなどの普及モデルを次々に生み出しました。時計の生産が終わる1980年までは…。



~スミスの魅力~

スミスの時計は、スミス社が英国車のメーターを生産していたことから、英国車を愛好する人に好まれるという傾向が強くありました。しかし、その魅力の本質は、英国製品らしい、飽きの来ない長く使える、上品で控えめな間違いのないデザイン性や、スイス製にも劣ることのない精度と信頼性にあるのです。







伝統を重んじる英国らしさ

スミスの最も大きな、魅力のひとつに、その安心感の高い普遍的なデザイン性を挙げることが出来ます。それは、伝統を重んじる英国らしいデザインであると言えます。


たとえば、デラックスなどに多く用いられる古典的な青焼針や、奥深い魅力のあるデュオトーンの文字盤。それらのデザイン要素は古くから使われて来たトラディショナルな手法で、さらに、英国的なセンスが加えられたことにより、他にはないスミス独自の世界観を生み出しているのです。


そんな、スミス独自のトラディショナルな佇まいがヴィンテージ・カーを始め、古き佳き英国製品ととけ込むことに、一役買っているわけです。







ファッションとの相性と高品質

バブアーに代表されるオイルド・コットン・ジャケットは、英国に幾つものメーカーがあり、天候の不安定な英国の風土には必需品。伝統的な英国製品とスミスとのマッチングの良さは筆舌に尽くしがたいといえます。
そして、他の英国製プロダクツがそうであるように。スミス社の時計は、世界水準の品質を誇り、正しい整備を怠らなければ半永久的に使用可能なのです。


~スミスを使い続けるために~

時計に限らず、クルマなどの古い機械を長年使い続けるためには、補修パーツや的確なメンテナンスを行うことの出来る長年の経験とノウハウとを持ち合わせた技士が不可欠と言えます。




長年、使い続けるために

スミスを英国で手に入れて、実際に使い始めて気づいたことは、日本にスミスを整備できる時計店がなかったこと。


スミスの時計は、いっさい、日本に正規輸入されたことがなく、また、スミス社は現存するものの、時計事業からは手を引いています。


そのため、英国であっても純正パーツの供給は皆無。日本でスミスを手に入れて、近所の時計修理店にオーバーホールを依頼しても、パーツがないからと断られてしまうのが現状です。


クルマや時計などの古い機械を、オリジナルの状態を維持しながら、長年使用できるように維持してゆくには、補修パーツのストックと、整備や修理を的確に行えるノウハウと技術不可欠なのです。





技術を積み重ね、パーツを収集

2003年、日本にあるスミスを一本でも多く健康な状態によみがえらせたい。そんな気持ちで立ち上げたのが、ウォッチギャラリー・ビッグベアーです。幾つものスミスを分解、そして、組み立てることを繰り返し技術を積み重ねてきました。


そして、英国中の閉店した時計店から、デッドストックの新品パーツを収集。さらに、スミスの欠陥パーツを発見し、日本国内の時計部品メーカーと、対策部品の共同開発に成功。


15年以上の経験で培った技術やノウハウ、そして、豊富な純正部品のストックにより、スミスを本来の精度で日常的に使用可能な時計として、整備出来る環境を整えました。


それが、現在のウォッチギャラリー・ビッグベアーです。オーバーホールしたスミスの数は、すでに5,000本を超えています。




当店の店主である 大熊 康夫は、スミスに特化した時計師として、17年以上の経験を積み、 仕入れから修理、整備そして、販売、アフターサービスを一貫して行う、日本で唯一のスミス社製時計のスペシャリストと言えます。 






ウォッチギャラリー・ビッグベアーからのメッセージ

スミスの時計は英国人にとって最も身近にあった時計であり、時計という道具を英国に普及させたのもスミスでした。たとえば、1960年代のスミスを、今の時代に愛用するということ。それは、機械式時計しかなかった当時の時代の英国に触れること。

スミスと過ごすことで、当時の英国文化に触れ、その延長線上にある、英国ファッションやカルチャーを楽しんでいただく。ウォッチギャラリー・ビッグベアーは、そんな素敵なイングリッシュ・スタイルを、スミスを通して提案してゆきます。


「そして、一本でも多くのスミスを健康な状態にすることを目指しています。」



■もっと詳しく知りたい方はこちらをご覧ください■

「ビッグベアーの品質」

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「スミスの歴史」

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Presented by Watch Gallery BIG BEAR