スミス専任時計師のウォッチギャラリー・ビッグベアー店主、大熊 康夫のブログ
~時計師の仕事場 #0010~
「すべてが新品と呼べるコンディション 」
1964年 ラインダイアル・デラックス
このラインダイアルの文字盤は、まるでスミス社の英国チェルトナム工場での生産ライン途中でのひとコマであるかのように美しい状態です。
しかし、実際は、ウォッチギャラリー・ビッグベアーの作業机で、一度すべてを分解され、オーバーホール作業を終え、再び組み立てられた姿です。
ケースに入れられ50年以上の歳月が経過すると、どうしても実際にはレンズの外側のベゼルに隠れた部分、つまり文字盤の外周付近には変色が見られるのが常なのですが、この文字盤は、微かなエイジングすらない驚愕のコンディションであると言えます。
ムーブメントを9金無垢SCWケースより取り外すと、工場で生産後、いっさい手を加えられていないことが、工具キズすらない極めて美しいムーブメントの状態から推測できます。
しかし、未使用に近い状態といえども、生産後50年以上が経過しているため、各部のオイルやグリスは硬化しており、そのままの状態で動作させてしまうと、良い状態の振り子やギアの軸が擦り減ってしまいます。
そこで、すべてを分解して硬化したオイルを除去し、フレッシュなオイルを注油して組み立てます。
組立の際には、経年による金属疲労が考えられる、スプリング類の消耗部品、そして、スミスの欠陥部品であるボルトスプリングなどは新品に交換し、完璧な状態に甦らせます。
上の写真の透き通った赤い部品は、ショックプルーフ(耐衝撃)機構を備えた、ルビー製の振り子の軸受けです。
表面に見える、クローバーの葉のような形に見える金具は、ショックプルーフ機構の要となるスプリング状の部分で、ルビーの軸受を半固定しています。
そして、落下などで強い衝撃が時計に加わった時に、このスプリングがショックを受け止め、この15石ムーブメントに使用されている歯車などの軸の中で、最も細い振り子の軸の破損を防ぐ構造となっています。
スミス・デラックスの文字盤の下部には、"MADE IN ENGLAND"の文字がプリントされていますが、この言葉には読んで字のごとくと言っては伝わらない可能性のある、深い意味が含まれています。
これを、英国製と訳すことが、間違っているわけではありませんが、スミスが伝えたかったことは、それだけではない他の意味が、この言葉の奥にあるのです。
例えば、同じスミス社製の時計に、4ビートの懐中時計がありますが、その文字盤には、"MADE IN ENGLAND"ではなく、"MADE IN GREAT BRITAIN"とプリントされています。
この違いに、"ENGLAND"の意味する重要な意味があり、それは、英国製ではなくイングランド製ということです。
恐らく英国が4つの国がひとつになって、ユナイテッド・キングダム、つまり、いわゆる"UK"と呼ばれていることを、ご存じだと思います。
それら4つの国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、そして、北アイルランドです。
もう、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、"GREAT BRITAIN"と"UK"
は同じ意味で使われますが、"ENGLAND"は、英国全体ではなくイングランドのみを表す言葉なのです。
さて、では、なぜスミス社は、このふたつを使い分けているかのでしょうか?その理由は、イングランドは英国の中心であり、他の三国とは、人種的、政治的、経済的に異なった文化圏であるという主張があり、誇りを持っているからなのです。
そのため、人件費もイングランドとその他三国では大きくことなり、コストのかかった優れた、そして贅沢な製品は、イングランドの工場で生産されるべきであるという考え方が根底にあります。
同じ国で生産されながら、生産国を示す表記が複数あるのは、これも、なかなかに英国的と言えるのではないでしょうか…。
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